朝日新聞(2014年1月30日)の朝刊3面に「電子書籍 消える蔵書:企業撤退で読めなくなる例も」という記事が掲載されています。文中には強い筆勢で(まるで鬼の首をとったかの如く?…)、紙の本では「あり得ない事態」が起こり始めている、とあります。
朝日新聞 (2014). 電子書籍 消える蔵書:企業撤退で読めなくなる例も 2014年1月30日
(web記事は「朝日新聞デジタル会員」でなければ読めないようです…←公開期間を過ぎています20170412)
ご心配なく!
ratikの電子書籍は読み続けることができます。
幾つかの大手電子書籍販売サイトでは、購入した書籍データが「web上」に置かれ、読者は「本」に「アクセスする権利のみ」を保有する形式が採られています。この方式には、「物体」としても「データ」としても「書籍」を持ち歩くことなく、ネット環境さえ確保できれば「世界中のどこに居ても蔵書が読める」という大きな利点があります。ただ、新聞記事で指摘されているとおり、購入した書籍が「自分の物ではない」という感覚は残ります。
また別の幾つかの電子書籍販売サイトでは、購入した書籍をデータとして「ダウンロード」する形式が採られています。しかし、その多くで、書籍データには「厳格なコピー防止策」が施されており、販売サイトが提供する「特定のリーディング・システム」でしか閲覧できず、さらには多くの場合、書籍データをシステムの「外部に取り出すこと」もできません。ここでも、購入した書籍が「自分の物ではない」という現象が起き得ます。
そして、上記のような「販売形式」については、たしかに朝日新聞が主張するように「企業撤退」などで「蔵書が読めなくなる」可能性はあります(記事にはありませんが、企業間の「本棚連携の動き」がない訳ではありません。また、結局のところ、大手販売サイトは「共通する仲卸業者」から書籍を購入しているのであり「いずれ購入読者の利便が図られる」という希望的観測もできます)。
ところで、「ratikが販売している電子書籍」については、新聞記事にあるような話とは「きっぱりと無縁」です。極論ですが、たとえ万が一「ratikが存続しなくなった」としても、書籍を購入していただいた読者のみなさまには「引き続き、本を読んでいただけます!」。
これは、ratikが実直に、「購入していただいた書籍」を読者のみなさんに「自分の物」にしていただく、という販売形式を採っているからです。
webサイトのあちらこちらにも記していますが、ratikの電子書籍は「DRMフリー」で、すなわち「厳格なコピー防止策を施さず」に「書籍データ(書籍ファイル)そのもの」を購入者のみなさまに提供しています。このため、読者のみなさまには、「書籍ファイル」の保管に気をつけていただければ、複数の「リーディング・システム」で読書を楽しんでいただく選択肢が開かれているのです。
もちろん、その中には、上記の販売サイトに結びついた「リーディング・システム」もあり、「企業撤退」の影響を受けないわけではありません。しかし、書籍閲覧の「選択肢は、1つだけではない」のです。
また、ratikの電子書籍が読める「リーディング・システム」は、営利企業が開発したものばかりではありません。たとえば、「閲覧」だけではなく「書籍管理」から「書籍の再編集」までもの機能を有した「calibre」は、オープン・フリーに日々改良が重ねられています。
もちろん「DRMフリー」での販売は、諸刃の剣です。この方式を採用するためには「読者のみなさまへの信頼」が欠かせません。
ratikは、学術・実践の発展に必要なコミュニケーションにおいて「不可欠なコンテンツ」を「選り集め、編み、発信する」ことを目指しています。その際、
- 現在の読者 = 過去/現在/未来の執筆者
- 現在の執筆者 = 過去/現在/未来の読者
という関係性が成立していると思われます。
私たちの社会において「学術・実践の発展」の必要性を否定する人はいないでしょう。また、「顕在的に/潜在的に」「読者として/執筆者として」学術・実践の渦中にいる方々にとって、「不可欠なコンテンツ」が流通し得る状態を確保していくことは「善き在り方」である筈です。「そのためにratikを存続させていかねばならない」と思っていただけますと幸いです。〔ratik・木村 健〕