乗り越え難い時間・距離はあるでしょう。今はまだ組織として脆弱なため、経済的に難しい場面もあります。しかし、ratikは事業活動において関わっていく方々と、可能な限り「直接会って話をすることを大切にしよう!」と考えています。
E-mailによって文書を介した緻密で迅速なコミュニケーションが可能になったように思います。これに加えて、相手の表情をリアルタイムにうかがえるインターネットを介したビデオ通話やテレビ会議システムさえもが利用可能な現在、人の物理的移動を省略して物事を進めてしまえるかのようにも考えられました。
しかし、そこにはまだ、危険が潜んでいるように思えてなりません。
先週訪れたNTTコミュニケーション科学基礎研究所のオープンハウスで「せつなの微笑みがこころを伝える〜対話者間の共感/反感に関する客観的解釈モデルの提案〜」という研究展示を見てきました。この研究のなかに、新しい技術に潜む上記の違和感を考えていく上での1つのヒントがありました。
研究展示の紹介記事は、こちら
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この研究自体は、対話中の二者間の共感/反感に関する外部観察者の解釈を、対話者の行動から推定するモデルを提案するものです。それに加え、モデル化にあたって、生身の観察者たちの解釈を分析する過程で、興味深い事象が発見されていました。
対話者間で共起する表情の組み合わせに関して、観察者が次のような解釈を与えることは容易に予想されます。
- 笑顔と笑顔の組み合わせは「共感」に見えやすい
- 笑顔と苦笑いの組み合わせは「反感」に見えやすい
しかし、ここに「二者の表情の一致性と時間差」を入れて眺めた場合、同じ「笑顔/笑顔」の組み合わせであっても、
- 笑顔に対して相手の笑顔が遅れると「反感」に見えやすい
ということが明らかになりました。
この研究での「共感/反感」は、あくまで対話を外部から観察する者の解釈に過ぎません。しかし、対話に関与している当事者が、こうした感覚を手にしながら相互行為を遂行していることは、十分考えられるものです。
情報処理容量の飛躍的な向上により、昨今のビデオ通話は「無料」を謳ったものでも非常に滑らかなものになりました。しかし「タダ」に便乗してるほうが悪いのかもしれませんが、現時点でも通話の際に「微妙な齟齬」が残ってしまうのも確かです。
上記の研究グループによると、現在のビデオ通話に残っている画像・音声の現実とのズレは、ちょうど「反感に見えやすい」とされる「遅れ」に近いものだとか…。
科学技術の力は、今後、現存する「時間差」を解消していくことでしょう。
しかし、他方で、私たちには、まさに「今日」取り結んでいかねばならない人間関係があることも事実です。技術の恩恵を最大限に受けつつ、今はまだ「直接会って話をすること」を大切にする姿勢を保ち続けたいと思っています。〔ratik・木村 健〕