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『関西大学商学部 長谷川ゼミナール 2015年度 聞き書き作品集』のためのまえがき
関西大学商学部長谷川ゼミナールとして「聞き書き」に取り組んで4年目にあたる2015年度は、ゼミ生7名が被災地支援の現場である岩手県陸前高田市、国際協力の現場であるカンボジア、インドネシアの3地点で「聞き書き」にとりくんだ。
聞き手が話し手の人生を丸ごと聞き、話し手自身の言葉で聞き手が文章化する「聞き書き」は、専門的知識や特殊技能が不要で、話し手を敬い謙虚に向き合う姿勢さえあれば、誰でもとりくむことができる。とはいえ、長谷川ゼミでのこれまでの実践からすると、「聞き書き」は誰でもとりくむことができることは間違いないが、それを作品として完成させるまでの道のりは平坦ではないことがわかってきた。それは、第1に尊敬しうる話し手を遠隔地から探して見つけ、話し手となることを了解してもらうこと、第2に話し手や協力者に「聞き書き」を理解してもらうこと、第3に話し手の人生を聞いた後の文字起こしや編集を話し手の了解を得ながら進めることが、学生たちにとっては困難だからである。もちろん、困難に立ち向かい、それを乗り越えるプロセスは学生たちにとっては成長の機会であり、新しい知識が得られ、スキルが磨かれることは確かであるが、一方で、担当教員である私の「聞き書き」指導上の改善点もここに見出せよう。
こうした聞き書きに、長谷川ゼミがとりくむようになったのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災がきっかけである。長谷川ゼミは、東日本大震災に際して同年5月からボランティア派遣などの被災地支援にとりくむようになったが、震災発生から一年が経過し、遠隔地大阪の学生がボランティアとして被災地に赴く価値はなくなりつつあった。そこで、私たちはそれに代わる被災地支援の方法を探していたところ、東京財団と共存の森ネットワークによる「被災地の聞き書きプロジェクト101」に出会った。このプロジェクトは、東日本大震災の被災者101名に、震災前の暮らしの様子を中心に震災後の状況や今後への想いを一対一で聞くものであった。「被災された方々が日常を取り戻していく上で拠り所となるのは、『被災地』という抽象的な括りではない、ご自身が積み重ねてきた日々の営み、暮らしに溶け込んだ生活文化ではないか」(東京財団・共存の森ネットワーク(編)『被災地の聞き書きプロジェクト101』2012年、3頁)。つまり、「聞き書き」を被災地で行うこと自体が、被災地の復興を支えることになる。
こうした経緯で、2012年夏に当時のゼミ生たちが被災地支援としての「聞き書き」にとりくむに至った。その結果、「聞き書き」がもたらすものが見えてきた。第1に、話し手が暮らす土地(被災地)に縁もゆかりもなかった遠隔地大阪の学生が愛着を抱くようになり、話し手(被災者)と聞き手(学生)は親戚や家族のような関係になり、長期にわたってその交流は続いていく。第2に、聞き手(学生)にとって話し手は、人生の先輩であり、生まれ育った環境も、価値観・世界観も異なる存在である。であるがゆえに「聞き書き」は、聞き手(学生)にとっては自らの生き方を見直す機会となり、話し手が聞き手の心に宿って「もう一人の自分」となる。
「聞き書き」が、こうした価値(遠隔地との縁結びと「もう一人の自分」づくり)をもたらすものだとわかってきたので、2013年度以降は被災地に限らず、海外においても「聞き書き」を行うことにした。その結果、2015年度までに宮城県石巻市、岩手県陸前高田市・大槌町、ブラジル連邦共和国、中華人民共和国、カンボジア、インドネシアで聞き書きが行われることとなった。
長谷川ゼミが『聞き書き作品集』を公開するのは、今回で3回目となる。当初の計画通りに進まず、「聞き書き」が行われた2015年夏から1年以上過ぎてしまったものの、ここまで漕ぎ着けることができたのは、話し手を初めとする関係者のみなさんのご協力があったからこそである。ここで話し手をはじめとして、この長谷川ゼミの「聞き書き」のとりくみに、快く賛同・協力し、ときとして叱咤激励をいただいた方々に感謝したい。
この『聞き書き作品集』のページを開き、話し手の豊かな人生と価値観・世界観を、一人ひとりのかけがえのない物語を、自らの人生と照らし合わせながら、じっくりと味わっていただければ幸いである。
2016年12月