森が燃えていました
森の生きものたちは
われ先にと逃げていきました
でもクリキンディーという名のハチドリだけは
いったりきたり
くちばしで水のしずくを
一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして、いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディーはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
(アンデスの先住民族に伝わる民話より)
書籍タイトルに「定年外科医」とはあるのですが、著者の菅村洋治さんの「今」が、定年後に突如としてできあがったものではなく、長きにわたる生活・実践と地続きに確固として在ることは、この本が「自分史」として書かれていることからよく理解できます。
終戦直後の食糧難の時代、咽頭ジフテリア悪化のため、父親が翌昼の火葬場の予約をとりつけた冬の夜、病院の廊下で抱っこされた4歳の洋治少年は「 “豆腐の塊”のようなジフテリア偽膜」を吐き出したことを機に、急速に快方に向かったのでした。医学部専門課程2年目の学生時代の「(本土復帰したばかりの)奄美大島のハンセン病療養所での夏の研修旅行」、さらには、卒業後5年目に、日本政府の海外技術援助プロジェクトの一環でケニア共和国・リフトバレー州立病院に外科指導医として1年間赴任。菅村さんは、その後も28年前には、日本の国際緊急医療チームのメンバーとして、エチオピアの飢餓難民キャンプで働き、途上国の困窮の一端を見てこられました。
こうした菅村さんが、定年後、「国境なき医師団(MSN)」や日本のNPO人道医療援助団体「HuMA(Humanitarian Medical Assistance)」の活動に参加していかれるのは、とても自然な流れであると感じます。
本文では、短文にして的確に選び抜かれた言葉が、事態を活き活きと描写していきます。とりわけ、随所に散りばめられた機知と諧謔によって、私たちには世界そのものが、これまでとは違って見えてきさえするのです。本書において、私は「言葉こそが世界を創り出す」という「精神の力」の実例をみた思いがします。
例えば、運び込まれる多数の銃創患者の容態の深刻さ、設備が充分ではない環境下での頻度の高い手術の過酷さなどは、凡夫を怖じ気づかせるのに充分なエピソードである筈です。また、多忙な病院勤務の傍ら、国際学会で「19回の発表」「5件の座長」「2件の特別講演」をこなしてきた著者の実績は「選ばれし者」に対する妬みを招いてしまっても不思議ではありません。さらに、事実、菅村さんは或る局面の自らの心境を「…入浴後の風呂蓋は閉め忘れ、就寝時は電気を消し忘れ、顔つきはうつ病患者のように精彩を欠いていた…」と言い表していました(ただし、まるで他人事のように、ではありますが…)。
それにもかかわらず、読者は「某かの一歩」を踏み出す勇気を与えられた気がするのです。
「心が軽くなる」といった言い回しがあります。そうした表現を軽く超えて、或る種の「精神の在り方」は、心だけでなく、身体を海を越えて浮揚させる力さえ与えるものなのだと思い知らされました。そして、私たちの誰もが、考えようによっては、そうした精神の有り様にまで至ることができるかもしれないのです。「今から」でも遅くはありません。
直近、今年(2013年)の3〜4月の菅村洋治さんのパキスタンでのご活動や、MSNでの派遣歴については、国境なき医師団のwebサイトでインタビュー記事を読むことができます。
本書は、ratik理事・菅村玄二さん通し、遠見書房・山内俊介さんから送っていただきました。玄二さんのお誕生日のたびに電話口から聞こえるお父さん・洋治さんの “Happy Birth Day to You!” のバイオリン生演奏(六十男の手習い!?)をニヤニヤ想像しながら、人の「バイタリティ」と「優しさ」が世代を超えて引き継がれていく不思議に思いを馳せています。〔ratik・木村 健〕
書 名:定年外科医、海外医療ボランティアへ行く
著 者:菅村 洋治
出版社:遠見書房
発行年:2013年