私たちの「記憶」は、録音・録画機器のように情報を記録し、好きな時に再生するような代物ではなく、その場その場に応じて「構成」「再構成」されるものに過ぎない。Elizabeth LoftusのトークをTEDで視聴することができます。
「虚偽の記憶」に基づく被害者の証言によりレイプ犯人として誤認逮捕され、罪が晴れた後も職業やフィアンセをはじめ生活の全てを失い、法廷での闘いの末に病死してしまった青年の話題から始まり、トークの中で述べられる研究成果は、これまで多くの教科書などで紹介されてきたものです。
架空の交通事故を複数の参加者に見せ、自動車が「接触(hit)した時/激突(smash)した時」と質問文中の言葉を変え、「どのくらいの速度で車は走っていましたか?」「車はどのくらい損傷しましたか?」と質問する実験(同じ事故映像なのに、smash条件で回答される車の速度や損傷度合いが有意に高い!)。或る種のサイコセラピーで実施されていた、イマジネーション・エクササイズ、夢解釈、催眠術、事実とは異なる情報に基づくエクスポージャーが、クライアントにありもしない出来事の記憶を植え付けてしまっていた例。…。
ロフタスは、記憶をWikipediaのページようなものだと表現しています。すなわち、あなたがそこに行って記述を書き換えることができるように、他の誰かもそこに行き記述を書き換えることができる、と…。
私たちの記憶は、自ら経験したかもしれないような何かについて、他の誰かから間違った情報をもたらされただけで、容易に歪められ、汚され、変容させられてしまいます。この事実は、恐ろしいことであると同時に、私たちの身の回りのあちらこちらに転がっています。学校、職場での「いじめ」から、国家間の紛争に至るまで、悪意をもって他人や集団に虚偽記憶を植え付ける営みは、私たちの「生活の知恵(?)」のようなものにすらなっているのではないかと疑っているところです。〔ratik・木村 健〕