頭痛、腹痛、歯痛、耳・鼻・喉の痛み、傷口の痛み…。私たちの日常は、しばしば激痛に苛まれます。こうした強烈な痛みの最中に「マインドフル」であることは可能でしょうか? ratik理事の菅村玄二さんを通じて「マインドフルネスストレス低減法」の提唱者ジョン・カバットジン氏の見解を知りました。
臨床現場やセルフケアでの効果が確認され、学術的な研究も盛んに行われているマインドフルネス。
私事で恐縮ですが、夏の終わりに扁桃腺炎を煩い、喉の「激しい痛み」と高熱に伴う「激しい頭痛」で臥せっていた時のことでした。「こんな機会だから…」と(?)マインドフルネス瞑想の教示音声を聞きながら、布団の上で「実践」を始めました。しかし、呼吸に意識を集中し始めた、ごく最初の段階でイヤホンを外してリタイア…。「今という瞬間」に起こっていることに、意図的に、評価も判断も加えずに注意を向けていくことから生じる気づき。このマインドフルネスの本義にしたがうと、ただでさえ我慢できなかった激痛が、さらに先鋭化して意識の多くを占めてしまい、とても「評価も判断も加えずに…」といった状態には辿り着けないのでした。「痛い、とにかく痛すぎる!!!」。
慢性疼痛患者の症状改善が、アメリカでマインドフルネス瞑想が注目され始めた1つのきっかけであったと記憶しています。先述のような「激痛」ではありませんが、「痛み」自体は、この瞑想によって、耐え難いものになってしまわないのでしょうか? こうした素朴な疑問を、菅村さんにぶつけてみました。
菅村さんも同様の疑問をいだかれ、カバットジン氏に尋ねたことがあり、その際、以下のような指導を受けたとのことでした。
冷たいプールに入るときを想像してください。一気にざぶんと入ると、我慢できないくらい冷たく、体もびっくりしてしまいます。なので、そういう場合は、つま先から少しずつ冷たさに慣れていって、ゆっくり入るのです。
マインドフルネスストレス低減法でも、いきなり痛みにどっぷりと注意を向けるのではなく、少しずつ注意を向けて、我慢できないなら注意をそらし…、ということを時間をかけて繰り返して、少しずつ痛みに対してマインドフルネスになる修行をするのです。
うーんっ…、これは面白い! さっそく今夜のエクササイズでも試してみようと思います。まさにFull catastrophe livingのための奥義ですね。ありがとうございました。〔ratik・木村 健〕