障害物を跨ぎ越す際のアルツハイマー病モデルマウスの前肢・後肢の運動軌跡を丹念に記録することから、高齢者の躓き・転倒の原因にワーキング・メモリの低下が影響していることを示唆する研究が、第11回日本ワーキングメモリ学会大会(2013年11月30日)で報告されていました。
[7] アルツハイマー病による作業記憶の障害が障害物回避歩行時に及ぼす影響 瀬戸川将(東京大学)・山浦洋(東京大学・生理学研究所)・遠藤昌吾(東京都健康長寿医療センター)・柳原大(東京大学)
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■瀬戸川さんらの論文はNature Scientific Reportに掲載されています。
Deficits in memory-guided limb movements impair obstacle avoidance locomotion in Alzheimer’s disease mouse model.
転倒・骨折などを機に、高齢者の生活の質が大きく低下してしまう例は、私たちの身近に数多くあります。また、アルツハイマー病患者の転倒は、健常高齢者に比べて高い確率で発生しており、とりわけ歩行中に障害物を跨ぐ際に生じる躓きやそれに伴う転倒は、転倒要因の中でも高い割合を占めているといいます。
今回の研究では、「健常マウス」と「アルツハイマー病モデルマウス」に、容易に跨げる程度の高さの障害物を越えさせ、その様子を側面からビデオ撮影し、前肢・後肢の運動軌跡が丹念に記録・分析されていました。
マウスのような四足動物では、前足で障害物を正確・安全に跨ぎ越す際には、オンラインの視覚情報を利用することができます。これに対して、ネズミの身体形状から、後ろ足での跨ぎ越しの際には、リアルタイムで視覚情報には頼れず、事前に獲得した障害物の大きさや形に関する情報を一時的に保持し、その記憶をもとに動作を制御しなければなりません。
「健常マウス」と「アルツハイマー病モデルマウス」との間には、筋力、関節の可動範囲などの面で、身体的な運動能力の差異はありませんでした。しかし、歩行実験の結果、「アルツハイマー病モデルマウス」とりわけ「後肢」の跨ぎ越しにおいて、障害物との接触率が明らかに高くなっていました。このことは、アルツハイマー病によるワーキング・メモリの能力低下が、マウスの障害物回避の拙さに現れていることを示唆しています。
マウスと、2足歩行をする私たち・ヒトとは、身体形状はもとより、歩行時の視覚情報の利用の仕方も違います。しかしながら、私たちもまた、身体直下の障害物を跨ぎ越す最中には、もはや障害物そのものを「見ていない」のではないでしょうか。
また「ワーキング・メモリ」は、「視空間スケッチパッド」と「音韻ループ」、これらとの情報交換を担う「中央処理系」をモデルに説明されています。ただ、ここで問題となる「事前に獲得した障害物の大きさや形に関する情報」とは、視空間性記憶課題で「覚えておかねばならない」ような静的・平面的な視覚情報ではなく、自らの生死に直結し、運動の計画や遂行と深く結びついたものであることも、私たちの「記憶」の在り方を考えていく上で興味深い点です。〔ratik・木村 健〕