ADHDの子どもたちには、「笑顔」に対しては定型発達の子どもたちと同じ脳活動がみられるのに、相手の「怒りの表情」に対しては脳活動がみられない…。NIRSを用いて社会的認知の神経基盤を探る研究成果が発表されました。日本人研究グループによるNeuropsychologia誌への投稿です。
Hiroko Ichikawa, Emi Nakato, So Kanazawa, Keiichi Shimamura, Yuiko Sakuta, Ryoichi Sakuta, Masami K. Yamaguchi, Ryusuke Kakigi. Hemodynamic response of children with attention-deficit and hyperactive disorder (ADHD) to emotional facial expressions. Neuropsychologia, 2014; 63: 51 DOI: 10.1016/j.neuropsychologia.2014.08.010
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これまで、ADHD(attention-deficit/hyperactivity disorder)の子どもたちは表情の認知に困難を抱えている、という指摘がなされてきました。とりわけ「怒りの表情」に対する感度の鈍さが報告されていましたが、その神経基盤については未だ明らかになっていませんでした。
この研究では、NIRS(near-infrared spectroscopy)を用い、各13人の「ADHD児/定型発達児」に感情価の異なる表情を見せ、その時点のリアルタイムの脳活動(脳血流)を測定しています。測定ターゲットになった脳部位は、表情認知の際に活動するとされる bilateral temporal areas でした。
結果は、冒頭のとおり、「定型発達」の子どもたちでは、いずれの表情に対しても、当該の脳領域の活動が活性化するのに対し、「ADHD」の子どもたちでは、「笑顔」においては反応がみられたものの、「怒りの表情」においては脳活動がみられませんでした。
attention-deficit といっても「注意」全般に不都合が生じている訳ではなく、神経基盤を伴って、とりわけ特定の対人的・社会的な関係性に関わる部分に感度の「違い」が生じていることが分かります。
例えば、私の喜びには相応にこたえてくれるにもかかわらず、私の怒りの表出に対しては無頓着な人を想像してみましょう。私は、そうした人との間に、どのような関係性を築くでしょう。私は「あいつには『暖簾に腕押し』という言葉がぴったりだ!」と思うでしょうか、それとも「あの人は、普段相当キツく当っているのに、いつも笑顔で接してくれる…」と思うでしょうか?
また逆に、私の怒りの表出に敏感に反応するにもかかわらず、私の笑顔に対しては無関心な人を想像してみましょう。私は「あいつは、いつも私の前ではビクビクしている…」と思うでしょうか?
ADHDと診断するか否かにかかわらず、恐らく、私たちが感情価を帯びた相手の表情を認識する際には、閾値の違いが存在するのだと思います。そうした「違い」を抱えた人々の集合として、私たちの共同体や社会が形成されているのだと思います。
このことは、物事の善し悪しのレベルを超えて「私たち」の現実なのだろうと思います。
ちなみに、この論文は「オープン・アクセス」になっていて、無料で全文を読むことが出来ます。Neuropsychologia誌の全ての論文が、このような仕組みにはなっていませんので、商業的戦略などが働いているのかとも想像します。
それにしても、こうした興味深い研究成果にお金を気にせずにアクセス出来ることは、とても快適なことだと感じました。通常「有料」であるものを「無料」にするためには、必要不可欠な経費を賄う「新たなビジネスモデル」の考案が必要になります。学術領域のコミュニケーションには、そうした「次の手」が求められているのではないでしょうか。〔ratik・木村 健〕