「決定論」と「自由意志」「道徳的責任」をめぐる問題は古くて新しいものです。P. F. ストローソンの論文「自由と怒り Freedom and Resentment(1962)」をもとにしたワークショップ「自由意志の現在―ストローソンの「反応的態度」再考」が「科学基礎論学会」で開催されました。
Strawson, Peter, 1962. “Freedom and Resentment,” Proceedings of the British Academy, 48: 1-25.
提題者による発表要旨は、以下のとおり
海田 大輔:自由意志の現在―ストローソンの「反応的態度」再考
山口 尚:ストローソンの遺産
岡村 太郎:「道徳能力」の実質化
梶本 尚敏:Dennett meets Strawson
決定論が正しいとすれば「自由は存在しうるか?」「道徳的責任は存在しうるか?」といった問いが生じます。こうした問いへのスタンスとしては、大まかには次の3つの立場が考えられます。
- 「決定論」と「自由意志」とは両立可能であるとする立場
- 「決定論」と「自由意志」は両立不可能なので「決定論」を棄却し「自由意志」を採る立場
- 「決定論」と「自由意志」は両立不可能なので「自由意志」を棄却し「決定論」を採る立場
論文「自由と怒り」でのストローソンの立ち位置は両立論にあります。両立論に対しては、
- 決定論が正しいときに何らかの人や行為に道徳的責任を帰すことは「正当化」されうるか?
という問いへの応答が求められます。そして、多くの場合、そうした応答は、決定論が正しい場合には不十分なものとなってしまいます。
ストローソンの戦略の今でも色褪せない斬新さは、人や行為に道徳的責任を帰すことが、そもそも「正当化」を必要とするような事象ではない、と主張することで、上記の隘路を通過しようとしている点にあります。
私たちは日常生活において、許すための一定の条件が満たされない場合、足を踏んだ人に「怒り」という感情を向けます。こうした感情の生起は、私たちにはごく自然な(あるいは、容易に抗い難い)ことのように思えます。また、私たちは「同様に」、免責条件が満たされない場合、道徳的要求に反する人に道徳的責任を帰して、処罰という形で苦痛を与えます。ストローソンによれば、「怒り」「感謝」などの「反応的態度」は、人間の自然な natural 在り方に属するもので、さらなる正当化を必要とするものではない、ということになります。「同様に」、共同体内部で互いに道徳的責任を帰し合う責任実践も、人間の自然な在り方に基礎 basis をもつものであり、さらなる正当化を必要とするものではない、ということになるのです。
さらに、私たちの「自然な」反応的態度や責任実践が、たとえ決定論が正しいとしても私たちの生活から消去されないことを示し、ストローソンの主張は完結していきます。
ストローソンの主張は、責任実践の合理的な正当化をあくまで要求する非両立論者には納得のいかないものになっています。また、ストローソンが「自然な」と表現し、人間の在り方の基礎に属するものと考える「反応的態度」や「責任実践」についても、私たちの社会が全面的に「決定論」を受容した場合、「根こそぎ」変更を余儀なくされるものではないのかといった疑問も生じます。
今回のワークショップでは、上記のような非両立論者からの反論はさておいて、まずはストローソンの主張の内部での議論の精緻化、とりわけ「反応的態度を被る行為者本人の条件」に関する吟味が為されました。
「決定論」と「自由意志」「道徳的責任」をめぐる問題への回答の1つとして、ストローソンの戦略は有望な方向性であると感じます。ただ、「反応的態度」や「責任実践」が、「決定論」の正しさを受容した上でもなおかつ「人間の自然な在り方の基礎」であり続けることを示すには、どのような方向で検討を進めれば良いのでしょうか。それは、提題者が指摘するように、進化心理学・進化倫理学・道徳心理学などの道具立てを用いれば充分なのか否か…。
これだけ科学的なものの見方が優勢に私たちの生活の中に入り込んできていながら、なぜ、もっと多くの人が、それこそ「夜も眠れなくなるくらい」こうしたテーマに関心をもたないのか疑問に思います。引き続き、注目していきたいテーマです。
現在、ストローソンの「自由と怒り」の原文は、彼自身の論文集で読むことができます。
書 名:Freedom and Resentment and Other Essays
著 者:P. F. Strawson
出版社:Routledge
発行年:2008年
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また日本語に翻訳された論文は、次のアンソロジーに収められています。
書 名:自由と行為の哲学 (現代哲学への招待Anthology)
著 者:P. F. ストローソン、ピーター ヴァン インワーゲン、ドナルド デイヴィドソン、マイケル ブラットマン、G. E. M. アンスコム、ハリー G. フランクファート
編・監修者:門脇 俊介、野矢 茂樹
訳 者: 法野谷 俊哉、早川 正祐、河島 一郎、竹内 聖一、三ツ野 陽介、星川 道人、近藤 智彦、小池 翔一
出版社:春秋社
発行年:2010年
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なお権利関係がどのようになっているのか不明ですが、哲学者ホンデリックのwebサイトには「決定論と自由」に関するページがあり、この中で、スキャン後の校正が不十分である旨が注記されていますが、ストローソンの論文・原文全体を読むことができます。〔ratik・木村 健〕