平均年齢71歳、1,449人の高齢者を約10年間追跡する比較的大規模な調査に基づき、シニカルな生き方が認知症発症のリスクを高めていることを明らかにした研究成果が、Neurology誌に発表されています。
Neuvonen, E., Rusanen, M., Solomon, A., Ngandu, T., Laatikainen, T., Soininen, H., Kivipelto, M., & Tolppanen A.-M. (2014). Late-life cynical distrust, risk of incident dementia, and mortality in a population-based cohort. Neurology, DOI: 10.1212/WNL.0000000000000528
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調査対象者については、尺度を用いて本人の「シニカルさ」の度合いが測定されています。その質問項目には、たとえば、
- ほとんどの人間は出世のためなら嘘をつくものだと思う。
- 誰も信じないというのが安全である。
- 利益を得るためならば、たいていの人は公正でない理由を使う。
といったものが含まれています。
調査対象者は「シニカル度」で高群〜低群に分けられ、その後の認知症の発症や、生存/死亡などが追跡されました。
その結果、認知症のリスク要因と言われている「高血圧」「高コレステロール」「喫煙」などの影響を加味したとしても、認知症の発症の頻度において「シニカル度」高群が低群の3倍になっていることが分かったそうです。
英語の「cynical(シニカル)」は、日本語としても定着しつつあります。これは私の無知に起因するのですが、この研究の文脈での「cynical」は「人間の誠実さに対する不信」といった意味で用いられています(もしかすれば英語の「cynical」は、そのような意味が中心的なのかもしれませんが、私は、もう少し広い意味で「自分にもあてはまりそう…」と思いながら、論文アブストラクトを読み始めました)。
「人間の誠実性に対する不信」をベースにすると、「或る種の生き方のかたち」が形成されてしまうのは想像に難くありません。また、そうした生き方が、「本来的に社会的動物」である人間の心身の健康に影響するのは当然なのかもしれません。
「対人的なシニカルさ」と、たとえば心臓疾患など「身体的な健康」との連関を明らかにする研究は、これまでにもあったとのことです。そして、今回の研究は、「シニカルさ」と「認知症(脳への影響)」との繋がりに着目したところに新規性があると紹介されています。
こうした研究の成果は「認知症の予防」という文脈に位置づけられるのかもしれません。ただ他方で、
- 「認知症」とは、どのような「病」なのか?
(あるいは、そもそも「病」であるのか?)
といった「問い」は、絶えず繰り返されなければならないようにも思います。
亡父は入院末期に、脳画像を眺めていた医師から「認知症の傾向が進んでいる」と告げられました。しかし、父の挙動はどれも、父のライフ・ヒストリーの全てに照らしてみた場合、何ら違和感無く「日常」の中に位置づけられるものでした。
テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』で、私は「ハイジが山小屋に来る前のおじいさん」のキャラクターが好きだったなぁ…と思いながら、この記事を書いています。〔ratik・木村 健〕