人間の皮膚には「濡れていること」を感知するためのレセプターが無いそうです。では、私たちは、どのようにして皮膚に触れるものが濡れていると知るのでしょうか? 「皮膚」と「湿り気」との間の相互作用によって生成される「温度」や「触覚」などに関わる入力が、多感覚的に統合されることによって「湿り気」の知覚が形成されるという「仮説」を検証する研究結果が、Journal of Neurophysiologyに掲載されています。
D. Filingeri, D. Fournet, S. Hodder, G. Havenith. Why wet feels wet? A neurophysiological model of human cutaneous wetness sensitivity. Journal of Neurophysiology, 2014; 112 (6): 1457 DOI: 10.1152/jn.00120.2014
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この水の多い惑星で暮らし、しかも身体の大部分が水で構成されている私たち・人間にとって、「濡れていること」や「湿り気」を感知する能力は、個々の行動場面のみならず、全般的な環境適応にとって欠かすことのできないものです。
ところが、私たちの皮膚には「濡れていること」を感知するための固有のレセプターがありません。
私たちが「濡れていること」を知る際には、「温度」の感知や「触覚」など、利用できる幾つかの感覚の統合が為されている、という仮説を立てることは、まずは妥当な選択でしょう。しかし、今回の研究グループによると、温度や触覚に関わる個々のキューがどのように利用され、周縁部から中枢に至る各所で、どのような統合がなされているか、神経システム的には未だ定かではない、とのことです。
研究では、周縁部でのA神経腺維の求心的な伝達が関与する形で、中枢部で「冷たさ」と「触覚」の統合がなされることが、「濡れていること」を知覚する上で重要な役割を果たしていることが分かったそうです。
ごく日常的でシンプルに思える知覚の成立が、まだ明確に解明されていない、ということが、まずは大きな驚きです。学問的な探求が入り込む余地が、まだ生活のごく近傍に存在していることには、何だかワクワクします。
ただ、他方で、
- 一対一対応する受容器官が無いにもかかわらず、私たちは、どのようにして「濡れていること」を知ることが出来るのか?
という「問い」の立て方には、或る種の既視感があります。すなわち、この「問い」は「ニセの問題」ではないのか、という感じです。
上記の問いには、当時、進んだ人体解剖の知見をもとにして立てられた、
- 網膜には二次元の視覚像が与えられているのに過ぎないのに、私たちは、どのようにして三次元空間を知覚することができるのか?
という問いと同じ「匂い」がするのです。現代的には、私たちの網膜に与えられるものは、「単なる二次元の静止画像」ではない、ということがエコロジカル・サイコロジーの知見として分かっています。
「私たちは、どうして濡れていると分かるのか?」。この問いかけに対し、現代の生態心理学者たちは、どのように答えるでしょうか。〔ratik・木村 健〕