緊急派遣事業でのスクール・カウンセラー勤務を終えて
インタビュー記事の続編です。被災地で求められる援助は、心理援助職の看板を立て、カウンセリングルームにこもり、相談を受けるといった従来の枠取りからは決して果たせないものだったと国重さんは言います。
現地の文脈に身を委ね、「外から来た者」として日常的な暮らしの中で人々と接することで、被災地の人々が自らの「体験」をどのように「意味づけ」、何と格闘しているのかが明らかになってきました。文化人類学的な手法という新たな臨床の境地が、実はナラティヴ・セラピーのバックボーンとも相関していたことがインタビューで明らかになります。
国重 浩一
宮城県緊急派遣カウンセラー
日本臨床心理士
ニュージーランド・カウンセラー協会員
特定非営利活動法人ratik理事
〔インタビュアー:ratik・木村 健〕
ナラティヴ・プラクティスを通して見た東日本大震災後の気仙沼(1/3)へ
ナラティヴ・プラクティスを通して見た東日本大震災後の気仙沼(3/3)へ
インタビュー
「インタビュー」という姿勢、「証人」としての役割
あたかも文化人類学者のように
「被災者からの脱却」というストーリー
「私はまだましなほうです」という語り方
「問題」がどのように意味づけられているのか
「普通の状態」に近い生徒たち・再考
インタビュー記事(1/3)からのつづき
〔問〕 現地の人びとと関係性を取り結んでいくプロセスを通じて、国重さんが辿り着いたのが「インタビユー」という姿勢であり、当事者が自らの体験を再確認していく場に居合わせる「証人」としての役割であったわけですね。
現地では、当然いろいろな話を聞くことになります。ここで、人が語る話を一編の物語であると見なしてみます。その時に、その物語がどのようなジャンルに属するのか、分類することも可能でしょう。たとえば、悲劇、喜劇、ロマンス、アドベンチャー、ヒーローもの、アクション、スリラーなどです。このような分類に厳密さを求める必要はないものの、その話の特徴を示すことに利用できます。
私は現地に入る前は、当然現地では「悲劇」的な要素を含んだ話を聞き続けることになるのだと、勝手に想像していました。当然そのような話もありました。また、そのような状況にある人の話を、聞くこともありました。ところが、そうではない話もたくさん聞いたのです。
それでは、私が聞いたそうした物語を分類するとすれば、どのようなジャンルが該当するのかというと…。それは、時に、あたかも「アドベンチャー」「サバイバル」というジャンルのもので、語り手がその主人公となるような話でした。これを「武勇伝」といっても過言ではないでしょう。たとえば、
- 震災時に、津波にのまれることになる場所にいたが、どのようにして安全な場所に逃げたのかという話
- 津波のことをすぐに考え、冷静に「自分に残されている時間は12分から15分程度に違いない」と判断し、まずは高齢者の身の安全を確保しようとした話
- 逆に、津波のことは考えなかったが、「たまたま」通りかかった友人の父親に車に乗せられて、難を逃れたという話
- 被災当日の夜、雪が降り、相当気温が下がった時に、自分のことを省みず、高齢者や子ども、女の子に優先して暖を取らせようとした話
- 夜、みんなのために、寝ずに火の番をした話。停電し断水した時に、どのようにして日々の糧を調達し、準備したのかの話
- そして、肉親との再会の話
などがあったのです。
このリストを見ても、通常の相談業務といわれる領域で聞けるような話ではないことに気づくでしょう。そして、重要なことは、このような話をするために自らカウンセリング室のドアをノックすることはなさそうだということです。
そのような中で、被災後に語られる話は、「相談」という形式のなかで出てくるものではないのだ、とも気づいたのです。被災後、相談という言葉でしっくり来るのは、被災したためどのような保険が適用になるのか、法的な支援はどのようなものが受けられるのか、などのことではないでしょうか。津波で家を流されたことは、心理援助職の元に「相談」に行くようなことではないでしょう。
他方で、このような話は、聞き手が不在の場合、語られることがない話であるし、高校生には、このように話をする場面がそれほど多く用意されてはいないと、想像できます。そして、このような話をしていくことも価値があるものである、と考えています。これまでこのような話をする機会がまったく無かった生徒であれば、私は、この生徒に何が起こったのかを理解している「証人」という大切な立場にたつとも考えられます。このように話をすることの必要性は、次のような証言によっても、うかがい知れます。ある教諭が被災し、家も流されたために、避難所にいました。そこで、多くの人たちが、延々としゃべり続けていたということでした。大変だという話だけでなく、時には笑うこともできるようなことを織り混ぜて、話をしていたそうです。このような状況の中に、グループ・ワークの片鱗を見出すことが可能でしょう。
男性は、比較的カウンセリングにはつながりませんが、職員室でも、どこでも、やはりこのような種類の話をしていると気づきました。1日職員室にいると、何回かは、被災時の話、被災に関する話題になります。このような「おしゃべり」をしっかり確保することが、それぞれの健全性に貢献している可能性を真剣に検討すべきであると考えています。そして、それは、私のような「地震や津波を知らない人」がいることによって、話が始まることもありますので、外部の者がその場にいる価値がある、と思いたいところです。
そこで、「相談」にこない生徒にも被災体験のことを「インタビュー」をすることができないか、学校教員と調整しました。そして、勤務のある日に、生徒の面談を設定してもらいました。生徒は面談室に呼ばれると緊張しているのですが、その場の話が「生徒指導」や「カウンセリング」ではなく、私がその人自身の体験を聞きたいのであると理解した途端、多くの生徒が多弁に話をしてくれました。このことを理解した途端、かしこまってソファーに座っていた男子生徒が、背もたれに寄りかかり、回想しながら、自分の体験談を話し始めたことは、印象に残っています。このような話をした後で、私の同業者に、個人名は伏せるとしても、あなたの体験を伝えてもよいのかを尋ねると、皆、二つ返事で快諾してくれました。また、そのような人に何か伝えたいメッセージはありますか、と尋ねると、次のようなことを語ってくれました。
- 「親族を亡くした人は違うかもしれませんが、高校生になると、みんな冷静に行動できていたと思います」
- 「被災した人は、落ち込んでいない。3ヶ月もたてば、自分なりの考えも出てくるので、あまり心配しなくても大丈夫です」
- 「みんな一緒なので、仕方がない。周りの人が励ましてくれました。『お前ひとりじゃないんだ』と」
- 「被災地に遠慮しないで見に来てほしい。そして、孫の代までそれを伝えてほしい。現場にいることでしか感じられないものがある」
- 「『がんばれ、がんばれ』と言ってほしくない。何をがんばればよいのか(分からない)」
- 「災害への訓練が大切だし、その場で冷静さを保つことが必要。せめて、誰かひとりでも冷静さを保つ必要がある」
- 「いろんな人から支援を受けることができて感謝しています。また、学校がなくなっても、このような場所(仮の勉強の場)を確保してくれたことも感謝しています。それに応えられるようにしていきたいです」
- 「ぜひ、ここにきて話をしてほしい。本やテレビで見るのとは、全然違います。1回は、こっちに来てみてください」
- 「いざというときのために準備をしていたほうがよいです。特に、明かりが大切です」
- 「カウンセラーは、覚悟をもってきてほしい。しっかり対応できるようしてほしい。軽い気持ではやってほしくない」
- 「津波警報がでたら、絶対に逃げてほしい」
- 「生きていることの意味を理解してほしい。がんばって生きてほしい」
当然、「相談」という形式の話もありましたので、最初から相談はしないとしてしまってはいけません。ここで注意しなければならないのは、こちらの姿勢によって、相手が語れる内容が異なってしまうということです。私たちが、「相談」という話を聞く姿勢を相手に提示してしまったために、相手が話したいことが話せなくなるという可能性があるのです。つまり、その場でどのような話を聞くべきなのかを私たちは検討しなければいけないということなのです。
相手が語りたいと思う話を話せるとき、誰にも話せませんでしたというのを聞くとき、誰か話せる人がいると分かればどんな苦しいことでも話したいという姿勢を目のあたりにするとき、心理援助職に就いている者として、自分の職務の大切さを感じることができたのです。
そして、そのような実感を手にするためには、興味深いことに、心理援助職という概念が作り上げる活動の枠、姿勢の枠、話す内容の枠から離れる必要があったということなのだと考えています。
〔問〕 派遣中に話をする機会があったときに、国重さんが「一緒に食事をとることから始まるんだ」とか、「好きな食べ物の話をすることも仕事の一部なんだ」とか仰っていたことを思い出します。もう少しこのことについて、話を伺えないでしょうか。
現地で活動していると、カウンセリングで話を聞くだけでは、十分理解できないと思えることがあります。そのため、現地の暮らしについて、いろいろと知りたいと思うようになりました。食事のこと、文化のこと、習慣のこと、価値観のことなどを把握しないと、相談に来てくれた人の話を十分把握できないのかもしれないと考えたりしました。
同じ緊急派遣の任務に就いていたカウンセラーで、町にどのような被害があったのかを見るのは当然としても、それだけではなくて、食事や伝統、文化についても、休日を使って見ようとしていた人たちがいました。たとえば、柳田國男の『遠野物語』で有名な遠野に伝承されている話を聞きに行ったり、震災後世界遺産として認められた平泉をしっかり見学に行ったりしているんですね。私も触発されて、自分でも休日を使って見学に行ってきました。そんな状況の時に観光なんかしている場合かと言う人がいるかもしれませんが、その価値があると、私は思います。なぜかというと、たとえば、その土地に根ざしている価値観や、ものの考え方に思いをはせるための下地になると思うのです。でもそれは、「東北とは」という一般論を導き出すためではなく、話をする人を個々の人として、よりよく把握するための基盤をつくるためのものなのです。
そして、このような姿勢を持っているカウンセラーは、すごく頼りになったし、しっかりしているなと感じました。私も啓発された部分が大きかったです。私でも感じたのですから、現地の人たちも、このようなことを知ろうとするカウンセラーを信用していくのではないかとも考えました。
私は、このような姿勢について、心理学の伝統から説明するのではなく、別の学術領域の手法を比喩にして説明するべきではないかと考えるようになりました。それを、私は「文化人類学的な姿勢」と呼べるのではないかと思うのです。
このことについて少し説明する必要があります。文化人類学を基盤とする研究者は、基本的な姿勢として、民族あるいは部族のことを調べるときに、心理学者がするように質問用紙などを事前に用意してアンケートに答えてもらい、そのことを解析しないと思います。研究者が、その場に入り、その部族の一員として生活し、その生活の場面を観察していきます。そして、研究者が理解できないことについて、その場にいる人びとに説明を求めるのでしょう。つまり、研究課題そのものを外で考えるのか、内に入って考えるのかの違いだと思うのです。外の者にとっての「問題」が、その場でも問題であるとは限らない上、ピント外れの場合だってあるのです。それよりも、その場で何が問題となっているのかについて考える姿勢の方が、現地の人びとの意見や考えを引き出せるというものです。
このときに、日常場面における観察や、普通の人びとに対する関与という形でしか、現地に入る者が必要とするものは得られないのです。つまり、これらは、カウンセリングルームの中ではまったく見えないものだと言ってもよいでしょう。
たとえば、津波で港を失ったということがどのようなことなのかについて、経済的な損失や失職などが問題となることに気づくことは容易でしょう。しかし、秋にとれる「戻り鰹」が食べられなくなったということ、そのことを楽しみにしている人たちがいるということ、その年の鰹の状態については重要な話題となるのであるということについて気づくためには、何気ない会話、雑談、世間話などをする以外に方法はないのです。
また、外の人間がその場に入ることで、現地では当然とされていること、ふだんならばわざわざ語ることではないことも説明しなければならないという状況もあったのです。たぶん、その地区の人間にとっては、「そんなことも分からないの?」と言いたくなるような質問を、私がしたのだと思います。「『モーカの星』って何?」「鮭と鱒の味って違うの?」「芋煮って何が入っているの?」などと尋ねると、大人は親切に話をしてくれますし、生徒は唖然とした表情を見せるのです。雑談の中で生徒に笑われながら、その場所のことについて理解していったのだと思います。
震災の年、現地に入った私に現地の人が申し訳なさそうに、「せっかく気仙沼に来たのに、おいしいものもごちそうできない。店が流されてしまったので」と言ってくれたのです。当然、このような状況なので、仕方がないことだし、気を遣って頂いてありがたいとは、伝えました。しかし、田舎での生活を知っている人なら、その土地に住んでいる人びとが、精一杯客をもてなそうとする気持ちを持っていることは理解できるのではないでしょうか。ですので、翌年気仙沼に戻ったときに、再開した店舗もありましたので、できるだけ食べてきました。そして、おいしかった刺身、気仙沼ホルモンなどについて、地元の人に伝えることができたのは、大切なことだったと思うのです。なぜなら、そのような場所が地元に戻ってきており、そのようにもてなすことができたことは、地元の人に安心感や安堵感を提供できるかもしれないのですから。
震災関係でいえば、津波のことなどについて、どのように話をしたらよいのかという感覚も得ることができます。現地の人びとがどのように震災被害について話をしているのか、どのように切り出すのかなど、学ぶところが大きかったのです。
そのような観察をしていかなければ、いつまで経っても、震災のことを話してよいのかどうかさえ、判断できなかったでしょう。たとえば、私はよく保健室で養護の先生と情報交換したり、来室する生徒と雑談したりしていたのですが、養護の先生は生徒が体調不良で来たときに、しっかりと震災の状況を聞き出していたのです。そして、その問いかけに生徒たちはしっかり答えていたのです。
よくよく考えてみれば、震災のことが話題になること自体誰にとっても当然のことであると思えるでしょう。家族の秘密、自分だけの秘密ではないのです。誰もが知っている、開けっぴろげになっている事実についての話なのです。そのため、生徒にとって、先生がしっかりそのことを理解しようとしてくれているのは、当たり前だと思える可能性が十分にあると思えたのです。逆に、そのことを確認しない方が、生徒の不信を買うことになるでしょう。
ある生徒に震災の状況を聞きたくて、「カウンセラーとして確認しておきたいのですが、もしそのことを話したくなかったらかまいません」と前置きして、被災の状況、あるいは震災が何か生活に影響を及ぼしていないかどうか尋ねたときがありました。この質問に答えてくれた後、その生徒は「そのことは、そんなに身構えないで、さらっと聞く方がよいと思いますよ」とアドバイスをしてくれました。
そして何より、何気ない話題から、震災の時の出来事、現在の様子、わずかばかりの本音の部分をもらしてくれることがあったのです。このような情報は、現地で心理臨床行為をする上で貴重なものでした。
〔問〕 先程、「今回の震災に対する、その人自身のオリジナルの説明、解釈、理解などを交えた話を聞いていく」という国重さんのスタンスの話がありました。また、知識人による言説やマスメディアによる報道が大きな影響を与え、人びとが体験にオリジナルな意味を与えることを妨げている面があるといった話もありました。人びとが自らの体験や起こった出来事を意味づけ、解釈していく過程に立ち合う中で見えてきた特徴的なことは他にありますか。
ひとつ気づいたことがあります。そのストーリーに分類名を考えるとすれば、「被災者からの脱却」という名称を与えられるのではないでしょうか。
マグニチュード9.0というすさまじい規模の地震の後に、巨大津波が襲ったわけですから、多くの被災者がでました。そのため、さまざまな緊急支援があったわけです。そして、当事者たちは、望む/望まないにかかわらず、問答無用に「被災者」と位置づけられてしまったのです。
私たちのような支援者が関わるものですから、被災者であることがより一層明確なこととして感じられてしまうのでしょう。自分たち自身のことを考えてみれば分かるのですが、人に助けられ続けるというのはあまり居心地のよい状態ではありません。逆に、ボランティアをして、自分がしたことが報われたと感じるのは、相手に感謝してもらうことでしょう。端的に言えば、「ありがとうございます。助かりました」と言われることです。
被災をしたことで最初は「被災者」という位置づけに置かれてしまうことは避けられないにしても、相手をずっと被災者のままにしておいてはいけないのだということに気づくことがありました。
相談室で、女子高校生の話を聞いたのですが、津波で自宅を失っていたので元気もなく、疲れてもいました。カウンセリングの方向性として、どのような可能性があるのか、私は見いだせなかったのです。とにかく理解しようと努めることしかできませんでした。ところが、次の時に表情がよくなっていたのです。それが私の気のせいではないのか、確認しました。「少し活気があるように感じるのだけど、自分ではどう思いますか?」と。すると、本人にもそのような自覚がありましたし、その理由も本人は分かっていたのです。それは、ボランティア組織とのつながりができ、復興に向けて何らかの活動をするようになったということです。そして、そこから他の人とのつながりも生まれてきているとのことでした。
被災したため最初はすごくショックを受けたのでしょうけれども、健全な人たちがたくさんいましたので、そのような人たちは、自分で乗り越えていけたのだと思っています。
このことから、私たちは、いつまでも相手を「被災者」「トラウマ体験をした人」などという描写で見続けてはいけないのだという気づきにつながりました。
また、私のところに相談ではなく、私の職種について聞きに来る生徒もいたのです。心理的に支援をすることとはどのようなことか、何を勉強すればよいのか、またどのような進路にすすめばよいのかということを聞いてきたのです。これも、「被災者」という受け身の立場ではなく、自分の状況はさておき相手のために何かしたいという気持ちの現れであると考えることができるのではないでしょうか。
そこで、私ができることの1つとして、カウンセリング講座があるのではないかと思い立ち、学校の管理職や担当者に尋ねてみました。その主旨を理解してくれ、4回コースのピア・カウンセリングの講座を開設しました。この目的は、この緊急時に友人同士でカウンセリングをするように求めたものではありません。それよりも、被災経験者が今後生きていく上で自分たちにできることの模索になるのではないかということ、カウンセリングのデモンストレーションを見せることによってカウンセリングというものを身近に感じて欲しいこと、講座で私との関係性ができることによって本人たちが困ったら相談に来る気安さが増すこと、そして、私を知っている人が増えることによって知り合いでカウンセリングが必要な人を紹介してくれる確率も増えるのではないかということを考えたからです。高校生ぐらいになると、その学校内の雰囲気として、カウンセリングを身近に感じることができるようになれば、口コミで相談に来たりしてくれます。
放課後で部活なども重なっていたため、それほど多くの参加者は集まりませんでしたが、幾人かはカウンセリングというものに関心を見せてくれました。
「被災者からの脱却」というプロットが見えてきたからこそ、このような方法をとることができたのだと思います。
〔問〕 国重さんが仰るとおり、震災後の社会は数多くの人を「被災者」という位置に置きました。ただ他方で、「被災者」というカテゴリーでひとくくりにできない個別の事情が個々の人にはあるのだろうと想像しますが、いかがでしょうか。
被災した人たちの語り方で特徴的であると思ったことがあります。それは、他の誰かとの比較において、自分の状況について語るということです。たとえば、家を流失したとしても「私はまだよいのです。人が亡くなっていないですから」と。外から入った人間にとっては、最初は聞くことも切なくなるような気持ちになりました。しかし、このような話し方をいろいろなところで聞くことができましたので、ひとつの特徴なのではないかと思い始めました。
比較ですから順次比較していけば、最も大変だと見なされる人たちもいるのではないかと想像しました。そして、人びとの比較の対象の行き着くところは、亡くなった人たちになるのではないかと、気づいたのです。どんなに酷い状況に遭遇したとしても、人が亡くなっている状況においては、生きているだけでも運があったと思うべきだと、考えたのかもしれません。そして、運があった以上、そして生き延びた以上、がんばって生きていかなければならないと考えた人もいたのではないでしょうか。
世間話、雑談などで、いろいろな話を聞きましたが、そこで話される話題は「運があった話」でした。あのぐらいの震災規模の場合、運がないとは死を意味するのでしょう。
津波が町並みを襲い、自分の家がなくなることがどのようなことなのか、私たちは自分のことに置き換えて、想像することは難しいと思うのです。ただ、実は、被災者も同じように、自らに起こったことに、どう反応してよいのか分からないということだったのではないかと思います。
そのため、周りの反応を見て、他の人が何を言うのかを聞き、自分がどのように反応したらよいのかを確認する必要があったのではないかと考えています。つまり、このプロセスそのものが比較という行為なのだと思います。
〔問〕 本人が体験から受けているダメージにもかかわらず、「私はまだ、ましなほうだ」と判断してしまう場合があり得るわけですね。こうしたケースへのアプローチのための「ナラティヴ」の道具立てとして「影響相対化質問法」があったと思います。対人場面での具体的な質問の仕方や、今回の国重さんが滞在中に立ち合ったケースでの印象深い「回答」などがあれば教えてください。
影響相対化質問法のことについて、少し説明しておいた方がよいですね。
これは、ナラティヴ・カウンセリングにおいて、外在化する会話法と並び、もっとも基本的なもののひとつであると、私は考えています。ナラティヴ・セラピーでは、私たちの日常における話し方が、あたかもその人自身が問題であるかのように表現していくことに、警告を発しています。このような表現から生じることを、問題の内在化といいます。要は、日常の何気ない表現は、その人が問題であり、その問題を取り除くためには、その人を排除しなければならないと、私たちを思わせるように、私たちを誘導してしまうのです。
しかし、その人だって、その問題に苦しんだり、四苦八苦しながらでも何とか対応しているのかもしれないのです。そのため、まずは、「その人」と「その問題」を表現上切り離していきます。このように話すことを「問題の外在化」といいます。問題の種類よっては、絶対悪のように敵視するべきではないものも含まれていますので、表現上そのことを敵のように扱ってしまわないのは重要なことです。大切な点は、その人が、その問題をある程度距離を持って、見つめることができるという点にあります。
自分と切り離された問題を、しっかりと見つめていくための一連の質問が、この「影響相対化質問法」と呼びます。そのことから、いかに影響を受けているのだろうかという側面と、そのことに対して、どの程度対応できているのだろうかという側面の双方から、その問題を探索していくのです。
この質問の背景にある考え方も付け加えて、説明しておきたいと思います。ナラティヴ・セラピーでは、何か絶対的な価値観、考え方、問題が存在するとは見なしません。そのため、真理という概念さえ否定するのです。この視点を用いると、被災した人との会話の中で、被災というものの絶対値を把握することはできないと考えることができます。私たちが認識できるのは、何か対象となる点との比較において浮かび上がってくるもののみであると思うのです。この点については、グレゴリー・ベイトソンの「差異のニュース」が参考になるでしょう。彼は「差異のないところには知覚は生じない。われわれが受け取る情報はいかなる場合にも差異の知らせにほかならない」と述べています。
この点を考察すれば、現地の人びとの比較は、現地の人びとの中で、つまりすべて被災した人びとの中でおこなわれていたという可能性を考慮しておくべきだと思うのです。あれだけの災害規模の場合、すべての人びとが被災したと思えたでしょう。そうすると、比較は被災レベルの高い状態の者同士の間でなされ、実は、差があまりないという状況だったのではないかと思うのです。
ところが、外の人間が入ってくると、少し状況が変わります。比較する対象が、私のように何の影響も受けていない人になるのです。比較する対象の種類や範囲が少しずつ広がることによって、被災した人たちの感覚も変化していったのではないでしょうか。
たとえば、被災後相当な支援がありました。これが政府の政策として、十分だったのかどうかについて議論するつもりはありません。このような支援を受けた人の中には「こんなにしてくれるとは思ってもみなかった」という気持ちを伝えてくれた人もいたのです。外の人間がそれだけ、このことを重大にとらえているのだと、察することもできた人がいたのではないでしょうか。
ある先生に、「先生たちがこなしている業務の量と質は、かなり高いレベルに相当すると思います」と自分の感想を述べたことがあったのです。その時には、その先生から返事をもらえなかったのですが、翌年、このことについて感想をもらったのです。「あのとき、自分たちがやれているのかどうか、全然分からなかったので、言ってもらって、そうか自分たちは相当やっているのだと思えた」と。
影響相対化質問法は、外在化された「問題」との関係を見ていくものであるという側面だけ見てしまうと、何を外在化するべきなのかということをまず考えてしまいます。ところが、「問題」がどのように知覚され、認識され、意味づけを与えられているのかという視点があるからこそ、この質問法があるのだと理解できれば、人びとの理解を形作るものを見ていくことも可能になるのではないかと思います。
ある生徒が、仮設住宅の狭い空間で家族と暮らしているので勉強できない、という悩みを話してくれました。その時に、子どもたちは「どんな状況でも与えられた環境でがんばらないといけない」と容易に思い込んでしまうのだと気づきました。つまり、与えられた環境で能力を発揮できない自分のふがいなさを嘆くのです。でも、そのようなことは誰にだってできないという状況もあるはずです。このケースでは、この状況で勉強に集中できないのは当然なので、今の状況で「がんばる」「努力する」という方向で考えるのではなく、状況のほうを変える選択肢がないのかを考えていくことになったのです。相手に別の仕方で考えていく枠組みを提供すると、ちゃんと出口を見つけてくれるものです。その時は、祖父母の家を使えるのではないかという話に落ち着きました。
問題の外在化もそうですが、相手に普段は考えない方法で、物事を見ていく枠組みを提供することによって、自ら何らかの解決策を思いつくものだと、思いました。
書 名:精神と自然:生きた世界の認識論
著 者:グレゴリー ベイトソン
訳 者:佐藤 良明
出版社:新思索社
発行年:2006年(普及・改訂版)
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〔問〕 国重さんも派遣当初の様子として「不思議なくらい」と表現されていましたが、子どもたちが「普通に近い」状態でいたということは、被災地の外から「より一般的な言説(ディスコース)」に照らしてみた場合、「意外な事実」であるように感じます。国重さんは「普通に近い」状態でいた子どもたちに、どのようなことを感じましたか。
ディスコースについて簡単に説明しておきます。
「ディスコース」とは、社会生活を送る上で私たちに一定の理解の枠組みを提供してくれるものです。価値を示すものであると見なすこともできます。そして、理解や価値観を提供してくれる以上、そのことによって私たちの考え方や感情が左右されるどころか、行動面でも影響を与えます。
たとえば、「教育」にまつわるディスコースを取り上げてみましょう。日本で子どもを育てるということは、この「支配的なディスコース」に晒されるということでもあります。つまり、幼児教育、習い事、塾、スポーツ、栄養、睡眠、ゲームの制限など、数多くの価値観に晒され続けるということです。そして、そのように行動するように私たちにせまってきます。そのため、しない努力をする方がよっぽど難しいという事態に陥るのです。
そして重要なことは、このようなディスコースの存在、つまりそれが提示する物事の意味は絶えず変わらないものではなく、社会的な文脈で生じ、維持され、常に変更される可能性があるものであるということです。それは、ある時代、ある地域、ある文化に所属する集団によって共有されていますので、時代、地域、文化が変われば、違ってくる可能性があるということでもあります。
この考え方に慣れないと、最初は戸惑ってしまうのではないでしょうか。私たちは、価値観だけでなく、感情さえもひとりで勝手に持つことができず、絶えず社会的な文脈の中から引用しているという考え方ですので、「普通の考え」とは違うと思うかもしれません。
さて、このような定義に照らし合わせてみると、今回の被災状況においては、ディスコースの特徴がよく表れてくると思いました。
先ほど、あれだけの災害規模の場合、すべての人びとが被災したと思えたのではないかと述べました。つまり、あのとき特定の地域にだけ、他の地域とは別のディスコースが生成され、そこに暮らす人びとは、その枠組みの中で理解し、考え、振る舞っていたのではないかと考えることができます。そして、興味深いことに、「被災していないが、その状況をメディアで見て知った人びと」にも、被災地の人びととは別のディスコースが生成されていったのではないでしょうか。そのため、外の人間にとっての「一般性のあるディスコース」は、「現地の人びとの中で共有されているディスコース」とは異なっていたという可能性について検討しておく必要があると思います。
この可能性を示唆できることを考えてみましょう。あの日、私たち外の人間は、メディアの情報にアクセスすることができました。そのため、津波の映像を目のあたりにしたのです。当初流れていた映像には、後日みんなが冷静になってみれば、とても流してよいような種類のものではないものも含まれていました。たとえば、人の命に関わるような映像のことです。震災後、いろいろな映像がYouTubeなどに投稿されましたが、後日削除されたのです。つまり、私たちは、震災のことを相当量の映像情報で見ることができたのです。ところが、現地の人びとの話を聞くと、地震が来てすぐに電気が止まったので、映像らしい映像を見ていないということでした。つまり、自分の目で見える範囲のことしか、分からなかったということなのです。
ディスコースがどのように生成されていくのかについては、私はまだまだ勉強しないと、うまく語れませんが、元になる情報が異なれば、作られていくディスコースが異なることだってあると考えられるのではないでしょうか。
私たちは、いろいろなことに対して、説明が欲しくなります。「なぜ、そうなのか」と。この時に、気をつけておかなければならない点があると思うのです。「なぜ」という言葉で、私たちは何を探そうとしているのかをうまく意識すらできないかもしれないのです。私は、この「なぜ」は、自分の想像の外にあることに対する答えを求めているのではないかと考えています。このときに、自分たちの想像の延長上に、その現象を位置づける欲求に駆られるのではないかと思うのです。
ところが、あれだけの数の生徒たちが「普通に近い」状態で振る舞っていたというのは、何も特別なことではなかったのだということを、だんだん理解できるようになってきました。逆に、今では、日常とは異なるように振る舞うことの方が難しいとさえ思えてきます。
震災被害の「大変さ」の指針として、私たちは、行動の変化を見いだそうとしていただけなのかもしれません。そもそも、その大変さの指針として、被災した人びとの行動を扱うのは不適切なのかもしれないのです。
つまり、「普通に振る舞っていた」という事実を、被災している人びとの大変さとか、辛さとかを推し量るために、利用してはいけないということなのだと思います。
“IT’S SHOWTIME”という言葉があります。舞台に出て、その役割を演じるときに使われます。私たちは、学校という舞台に出てきて、日常という名の舞台を演じることができるのではないでしょうか。ナラティヴ・セラピーでは、心理学が、行動という側面を、あたかもその人に固有の要素であるかのように扱うことを批判しています。しかし、実際に私たちはその場その場で決められた役割を演じることを、いとも簡単に、いとも自然にこなしてしまうのではないでしょうか。
最初は私も目に見えるものを求めていましたが、現地で滞在する内にこのような視点も出てきたのです。これは、しばらく滞在しなければ分からなかったことだと思います。
書 名:ナラティヴ・セラピーの会話術:ディスコースとエイジェンシーという視点
著 者:国重 浩一
出版社:金子書房
発行年:2013年
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